もう一度、タネーエフ

ところでタネーエフというのは、セルゲイ・タネーエフのことだ。

1855年生まれ チャイコフスキーに師事して大変に気に入られた彼は、1875年に音楽院を卒業すると今度はモスクワ大学に行った。そこで彼はネクラーソフの親友でドストエフスキーの論敵であったシチェドリンやツルゲーネフと知り合った。

ところでモスクワ大学と言えばチェーホフの母校でもある、と思ったら、チェーホフが大学に入ったのはタネーエフの3年後の事で、しかも行ったのはモスクワ薬科大学で20世紀になってからモスクワ大学に吸収されたのだという事であった。

その後、タネーエフはトルストイ家のお気に入りになったことは前に書いたけれど、それはチェーホフがトルストイのお気に入りになった時期と完全に重なっている。では、やっぱりタネーエフとチェーホフは会ったことがあるのではないかと思ったけれど、どこにもそんな情報はない。

タネーエフは1876年の年末から翌年にかけてパリに滞在した。その間フランク、フォーレやサン・サーンスの他に、当時パリにいたツルゲーネフの紹介でゾラやフローベールにも会っている。1877年はじめにはフォーレのヴァイオリンソナタ 第1番の初演を聴き、その「驚嘆すべき美しさ」についてをチャイコフスキーに宛てて書き送っている。
タネーエフはラフマニノフやスクリアビンの先生であったことは知られていても、まだ11歳だったプロコフィエフを最初に見出した人だという事はあまり知られていない。

タネーエフは対位法の大家であったが、残された作品は少ない。
晩年の1911年に作曲した弦楽三重奏曲でも作品番号がまだ31なのである。すでに新古典に直結する作風で、同時期のロシアの作曲としてはストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』そしてプロコフィエフのピアノ協奏曲 第1番がある。この弦楽三重奏曲をタネーエフは弟子のポマランツェフに捧げたが、プロコフィエフが1902年にモスクワに来た際に、タネーエフの紹介でプロコフィエフに作曲理論を教えたのがこのポマランツェフであった。

タネーエフは弦楽三重奏曲 作品31のあと声楽作品ばかりを5つ書いた。
その死の年、3年をかけて最後に書きあげたカンタータ「詩篇の朗読」作品36は白鳥の歌というには壮大すぎる。QUARTETと題された中間楽章でチャイコフスキーへの憧憬を壮絶に歌い上げた後の荘厳なフィナーレ。ヴェルディのレクイエムとストラヴィンスキーの詩篇交響曲の間を結びつけ、ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲の冒頭でパガニーニ主題と重なるように引用された、この大変な名作をこれから実演で聴くことの出来る日は、いつか来るのだろうか。

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2019年7月18日(木) 20:00開演
「弦楽三重奏」
ヴァイオリン: 外園彩香
ヴィオラ: 鈴木康浩
チェロ: 富岡廉太郎

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