シューベルトと珈琲

白状しなければいけない。
自分はシューベルトのニ長調ソナタ D850を、ほとんど聞くことが出来なかった。自分のシューベルトに対する好みは最後の3つのソナタに傾いていて、ハイドンやモーツァルトの作品を原植物として強く認識できるようなそれらの作品を一つの到達点とする聴き方に執着していたのだ。

最後の3つのソナタは、なるほど古典派の終着点である。そこに、その後の音楽には聴くことの出来ないものへのノスタルジーを感じながら、例えばコーヒーを飲んだりすることが「何もないこの世」での生活というものであると、自分はいまでも思っているところがある。

ワーグナーもブルックナーもマーラーも、コーヒーには合わない――この黒飲料はこの世に残された唯一の憧れであり、それこそ死への憧憬であり、心の求める平和なのだというナルシシズムを、シューベルトとなら分かり合えると思うような自分がニ長調ソナタ D850など聴けるわけがなかったのだ。

おととい来なさい。
ニ長調ソナタ D850は冒頭から、コーヒー茶碗をひっくり返しにかかってくる。茶碗を必死でおさえる、今度はテーブルごとガタガタ震えだす。

「永遠に理解しがたい憧れに圧しつぶされている僕という人間」(Schubert 1824.7.18)

シューベルトは泣いている。

メンデルスゾーンとシューマンによるシューベルト発見は、ウィーンではベートーヴェン没後から30年以上解消されなかった空白を、ライプツィヒにおいてごく短期間で終了させた。後期ベートーヴェンに、印象派の萌芽をひとり発見していた若きリストは長い巡礼の旅に出た。

ブラームスはシューベルトのことを「私たちの同時代人のようだ」と言った。若きブラームスにとってシューベルトはリアルタイムに次々と新作が出版される恐るべき亡霊のような存在であった。ブラームスがピアノソナタを書いていた1853年に、シューベルトの代表作である弦楽五重奏曲は初めて出版された。

シューベルトの芸術が19世紀において果たしていた役割を明らかにしたい、と思って自分は延々とブラームスを聴いていた。
ところが、そこに見えてきたのは、ブラームスの作品1のピアノソナタから最晩年のピアノ作品集までをシューベルトのピアノ作品に対する注釈として眺めるという、これまでには知らなかった世界であった。

20世紀になって、例えばマーラーやショスタコーヴィチがロマン派以前のウィーンの形式に、より自然な形で立ち帰っているのに比べて、ブラームスはまだそれを仄めかしの言葉でしか語ることが出来なかった時代に、特殊な鏡に映してしか読み取れないような文体で告白をしていた。シューベルトはずっと隣に立っていたのだ。

シューベルトとロマン派の関係の謎は、例えばショパンがピアノソナタ 第1番を書いたときに、シューベルトの最後の3つのソナタがまだ書かれていないことの意味を考えてみるようなところにあるのかも知れない。そんなことも最近になって気が付いたという自分に、ニ長調ソナタ D850の話などできるものだろうか。

シューベルトはいつでも同時代の服装で、誰よりも大きな姿で、音楽を聴く自分の隣に立っている。その翼を広げると、どこからどこまでが彼の時代であるかなど、誰にはかることができるだろうか。

そうこうしているうちに、いつのまにかシューベルトのニ長調ソナタ D850を聴きながら、手元にあるこの空虚、この黒いコーヒーが実はそのままで美味しいのではないかということに気が付いた。どういうことだろう…
カップを持つ手が震えだした。

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2018年4月8日(日) 20:00開演
「F.シューベルト」
ピアノ:佐藤卓史
http://www.cafe-montage.com/prg/180408.html