このような最期の言葉

ベートーヴェンは1827年3月26日に死んだ。

作曲家みずからが生前に希望していたからだとか、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」の中で、死の原因を自分の死後すぐに記録せよと書いていたのに従ったのだとか、色々と言われているが、ともかく、ベートーヴェンは死後すぐに解剖された。 “このような最期の言葉” の続きを読む

禁じられた林檎

音楽に新たな形を持たせること、そのことは禁じられていない。

私たちは禁じられていることを、してはいけない。
いま私たちに禁じられていることとは何か。
それは、自ら他人に必要以上に近寄らないことであり、他人同士を必要以上に近づけないことである。
ルールはもともとそこにあった。ただ、それが禁じられていることを私たちがずっと知らなかったというだけなのだ。

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アイヴズの、教え給いし歌

あの子供の頃の景色、お気に入りの思い出を描いてみせることは、心にとってどれほど愛しいことだろう! - “The Old Oaken Bucket”

20世紀の作曲家たちが、それぞれの国から消えゆく運命にあった旋律を手にモダニズムの扉を叩いたのは、おそらく偶然ではない。子供の頃の風景を思い出して、描いて人に見せることがどうすれば出来るだろうかと彼らは問うた。

歌を口ずさめばいいのだと、20世紀の困難な時代において、彼らは言った。
まずチャールズ・アイヴズが歌い出した。

「夜がやってくる。それまでに仕事を終わらせよう」 “アイヴズの、教え給いし歌” の続きを読む

シューベルトを完成させる

すでに重要な歌曲を書いていたシューベルトが、満を持してはじめてのピアノソナタを書き始めたのは1815年の事、それはベートーヴェンが長い沈黙を破ってop.101とop.102のソナタを書き始めたのと同じ年であった。

二人の天才が生活していたウィーンという狭い街に、1815年、どのような色彩そして香りが振り撒かれたというのだろう。ある時代のはじまり、それはまさにウィーン会議の年であって、ヨーロッパ各国の重要人物がウィーンに齎した何かが、彼ら二人をしてソナタを書けと促したのだったのだろうか。 “シューベルトを完成させる” の続きを読む

完成するシューベルト

作曲家は 早く死のうが長生きしようが、晩年に完成する。
それは本当なのだろう。

しかし、シューベルトの到達点のひとつとして『幻想ソナタ』をみていたロベルト・シューマンが、はじめて最後の3つのソナタが登場した時、それを見て瞬時にシューベルト創作の後退と認識し「作曲家の初期の作品と取り違えかねなかった」と言ったことの意味を考えると、晩年に完成するシューベルトの物語が、ロマン派においては今と違う形であったことが分かる。 “完成するシューベルト” の続きを読む

ベートーヴェンとプロイセンの幽霊

幽霊とは、マクベスが魔女の宴の中で見たバンクォーの幽霊の事だろうか。

友人コリンが脚色したシェイクスピアのマクベスに、ベートーヴェンが音楽をつけようとしていたのは1808年、交響曲第5番と第6番を続けて書いていた時期の事であった。
この二人の共同作業からすでに『コリオラン序曲』という傑作が生まれていて、マクベスは本格的なオペラとなるはずであったかどうか、コリンが1811年に死んでしまったためにいくつかのスケッチが残されたのみとなった。

ベートーヴェンのいわゆる”田園スケッチ帳”(1808)にそのマクベスの導入がほんの少し記されていて、ベートーヴェンがその時すでにオペラ『マクベス』に取り掛かっていたという証拠となっているのだが、 “ベートーヴェンとプロイセンの幽霊” の続きを読む

バルトークの憂鬱 対話をもとめて

第一次大戦がおわってまもなく、バルトークの音楽は急激に世間から賞賛を得ることになった。それまで孤独を極めていたバルトークは喜んだ。

しかし、彼はすぐに塞ぎ込むのだった。
民謡を採取しての旋律の研究がまだ中途のままであったのに、戦争で分断されたハンガリーの地方への道が閉ざされたままであったからである。それはバルトークにとっては未来への道をふさがれているのと同じことであった。 “バルトークの憂鬱 対話をもとめて” の続きを読む

ゴルトベルク変奏曲 目を閉じるアリア 

アリア、とはなんだろう。

J.S.バッハが書いた一つの長大な変奏曲が1741年に出版された、その初版楽譜の扉には以下のように書かれている。
Clavier Ubung (- 鍵盤練習曲)
bestehend (- によって成り立つ) 
in einer (- あるひとつの)
ARIA (- アリア)
mit verschiedenen Verænderungen (- それぞれ異なる変奏と)

日本語を並べ替えると

「ある一つのARIAと異なる変奏によって成り立つ鍵盤練習曲」

となる。 “ゴルトベルク変奏曲 目を閉じるアリア ” の続きを読む

サンサーンス 大きすぎて見えない

いずれも1850年代、サンサーンスがまだ20歳前後だった時の話。

時の大ソプラノ、ポーリーヌ・ヴィアルドーとサンサーンスの共演で演奏されたシューベルトの『魔王』はパリで大センセーションを起こした。

サンサーンスは交響曲『レリオ』をピアノ版に編曲して、晩年のベルリオーズのお気に入りになった。その後ツアーにピアニストとしてついていったサンサーンスは、シャンパンとコーヒーとタバコの大量摂取を老巨匠に我慢させるのに苦労したという。でも、老巨匠はいずれも大量に楽しんだ末に死んでしまったという。 “サンサーンス 大きすぎて見えない” の続きを読む