カフェ・モンタージュの話

なぜカフェ・モンタージュを始めたのですか?という問いに対する答えをずっと考えている。

音楽がお好きなのですね。 ― そうですね。

…といっても、自分は自分が好きな音楽が好きなのであって、それ以外の音楽のことが好きかどうかはわからない。

自分が好きな音楽は、レコードが擦り切れるほどに、CDも焼け焦げるほどに、MP3だって読み出し不能になるまで、何度も何度も聴く。こうなるともう頭の中は燃えカスだらけで、普段の人との会話に支障をきたすことにもなったりする。大変な孤独である。

人と音楽の話をするとまず決裂し、運良くある程度まで分かり合えた後でも、いつか決裂する。これはしょうがないことだと言いながら、だんだんに孤立を深めていって、音楽が世のためになるなんて、一体誰が言ったのか。いや、誰もそんなことは言っていない。

音楽を聴いているときは孤独が当たり前。誰か他の人と一致団結するということはないので、ふと顔を上げたときに、人々が一致団結みたいなことになっているのをみると、なんだか不思議なものを見ているような気がする。

でも自分だって、好きな音楽と関係ないところに身を置くと、そこでは人と見事に一致団結したりもする。そのあとまた一人で好きな音楽を聴く。一致団結したことは忘れて自分に帰っていく。どこかで一致団結しているのを見たからといって、それだけで人を判断しないで欲しい。

なんの話だったか、燃えカス…
いや、カフェ・モンタージュの話をしているのだ。
バッハが好きだ。それが自分の好きなバッハだったらいいのに。そう思って、来て下さる人たちがいる。

バッハは、楽譜の上に存在しているのではなく。人々の頭の中に、燃えカスとして存在している。人はそのために、言葉をうまく話すことが出来ない。人はそのために、言葉を交わす相手を失っていく。
カフェ・モンタージュは、そのような人たちのために始めたのである。